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大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)33号 判決

昭和三三年(ネ)第一、三〇五号事件控訴人

昭和三四年(ネ)第三三号事件附帯被控訴人 山本留吉

右訴訟代理人弁護士 阪中繁市

昭和三三年(ネ)第一、三〇五号事件被控訴人

昭和三四年(ネ)第三三号事件附帯控訴人 秦野鶴子

昭和三三年(ネ)第一、三〇五号事件被控訴人

昭和三四年(ネ)第三三号事件附帯控訴人 三田スエ

右両名訴訟代理人弁護士 村本一男

主文

1  控訴人の控訴に基き原判決主文第一項第二、第三項のとおり変更する。

2  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)らに対し大阪市東区徳井町二丁目二六番地上瓦葺二階建建坪約三坪の土蔵一棟を明け渡せ。

3  被控訴人(附帯控訴人)らその余の第一次請求を棄却する。

4  附帯控訴人らの附帯控訴に基き原判決主文第二項を取り消す。

5  附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人(被控訴人)らに対し大阪市東区徳井町二丁目二六番地宅地五二坪一合三勺の表道路に通ずる路地部分上の東西約一間南北約五間の建物を明け渡し、かつ昭和二九年五月一七日から同年一二月末日まで一ヶ月二一五円、昭和三〇年一月一日から同年一二月末日まで一ヶ月二八六円、昭和三一年一月一日から右建物及び主文第二項記載の土蔵の明渡ずみまで一ヶ月三二〇円の各割合による金員を支払え。

6  附帯控訴人(被控訴人)らのその余の第二次請求を棄却する。

7  訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その二を控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、その一を被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

8  この判決は被控訴人(附帯控訴人)らが土蔵及び建物明渡の部分につき二〇、〇〇〇円、金員の支払の部分につき五、〇〇〇円の担保を供するときは、主文第二、第五項に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

三田寅治郎が大阪市東区徳井町二丁目二六番地宅地五二坪一合三勺及び同地上の瓦葺二階建建坪約三坪の土蔵一棟を所有していたが、昭和二二年六月一九日死亡し、その妻被控訴人三田と長女被控訴人秦野がその遺産相続をし、右不動産の所有権を取得したこと、控訴人は昭和二〇年六月戦災でその住宅を焼失したので、表道路から右宅地への通路となつており、被控訴人ら主張のような構造を有する路地部分(被控訴人ら主張の軒下及び通路)を雨露をしのぐため使用する目的で三田寅治郎から借り受け、その後控訴人が右路地部分に被控訴人ら主張のような造作を加え現にこれに居住してその敷地及び被控訴人ら主張の土蔵一棟を占有していることは、当事者間に争がないところである。

被控訴人らは右路地部分及び本件土蔵の貸借関係は、使用貸借であると主張し、控訴人は、右貸借関係は当初使用貸借で一ヶ月一〇円の割合による礼金を支払つたにすぎなかつたが、三田寅治郎の死亡後その妻で相続人である被控訴人三田の承諾を得て右路地部分に漸次起居に適するように造作を加え現在の建物とし、同被控訴人との間に右建物につき賃貸借契約を結び(右建物は控訴人の所有であるから、右賃貸借は実際は土地の賃貸借である。)、家賃名義(実際は地代である。)、の賃料を支払つて来たのであり、土蔵は賃借したのであるから、右貸借関係は賃貸借であると主張するので考える。成立に争のない乙第一ないし第六号証、原審証人秦野吉之助、当審証人山本キンの各証言、原審における被控訴人秦野、控訴人(一部)各本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人三田本人尋問の結果、原審における検証の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。三田寅治郎は前記宅地を所有し、その地上に住宅と本件土蔵を所有し右住宅に居住していたところ、昭和二〇年三月戦災で右住宅が焼失したが、右土蔵も、右住宅から表道路に出入する路地部分の両側の家屋も焼失を免れ、従つて、東側の三田寅次郎所有の家屋の西側面と路地上につき出して造られた中二階と西側の家屋の東側面とで形成されている部分(被控訴人ら主張の軒下部分)もそのまま残つた。控訴人は元大阪東区北新町に居住していたが、昭和二〇年六月戦災によりその住居が焼失したので、喜連某の仲介で、三田寅治郎から路地部分の東側の家屋の中二階の床が天井となつており、東西の部分は両側の家屋の外側によつて仕切られているが、床もなく、南北の部分には戸締りもない前記路地部分を一時雨露をしのぐために借り受け(この点前記のように当事者間に争がない。)当初は地上に畳を敷いた程度で生活していたが、その後二年か三年内に順次前記東側の家屋の中二階の床を天井として利用し、その下部の東西一間巾の通路に右東側の家屋に附加して床を張り畳を敷き戸障子を入れ、右中二階の瓦葺前庇を利用し硝子戸を入れて居住することができるような構造とし、玄関と六畳の部屋を造り、六畳の部分の南に接続して路地につき出て、西側の家屋に接する東側の家屋の屋根下部分を利用しその下に前同様東側の家屋に附加して床を張り畳を敷き四畳の部屋を造り、南北に戸締りができるようにして住居のできる建物を造り、家族とともに居住している。被控訴人三田は前記住居が焼失した後その夫三田寅治郎とともに一時他へ転居していたが、その後昭和二〇年中に三田寅治郎ととも右建物の東側の奥野某方の一部に居住するに至り、三田寅治郎の死亡後も昭和二八年七月頃被控訴人秦野方に同居するに至るまで同所に居住しており、控訴人が前記のように本件路地部分に住居に適するような建物を造つたり造作をしたことを知りながら敢えて異議や中止の申出をしないでこれを黙認していたばかりでなく、三田寅治郎が控訴人に本件路地部分を貸与した当初においては無償であり、控訴人から一ヶ月一〇円の割合による謝礼金を交付していたにすぎなかつたのに、控訴人から自発的に値上をして持参して来たとはいえ、一ヶ月三〇円、五〇円、一〇〇円、三〇〇円と順次増額された金員を昭和二八年一一月末日まで異議なく受領し、値上後は被控訴人三田の承諾を得て昭和二四年三月頃から本件土蔵を借り受け、自己の営む包装材料商の商品のむしろ類を入れておくために使用しており、賃料として一ヶ月二〇〇円の割合(昭和二六年当時は前記建物の賃料三〇〇円と合せて一ヶ月五〇〇円の割合)で昭和二八年一一月末日まで支払い、被控訴人三田は異議なくこれを受領した。以上の事実を認めることができる。当審証人山本キンの証言、原審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない。右認定の事実から考えると、三田寅治郎と控訴人との間の貸借関係は、当初は賃料の定めのないものであつたから、使用貸借であつたことは明らかであるが、家屋の貸借であつたかどうかは必ずしも明確ではない。しかし、控訴人が右路地部分に居住を始めてから後本件通路上に造つた前記建物は、亡三田寅治郎の遺産相続により被控訴人らの所有となつた右通路の東側の家屋の中二階の床と屋根を天井として利用し、その下部の通路に床を張り、表道路に面する瓦葺前庇を利用して戸締りをしたもので、造作を除きいずれも右東側の家屋に附加して一体となつたものと認めるのを相当とするから、附合により被控訴人らの所有となつたものというべきである。そして、被控訴人三田は控訴人が東側の家屋に附加して右建物を造るにつき異議を述べず、賃料の支払を受け黙示の承諾を与えたのであるから、少くともそれ以後右建物の賃貸借契約が成立したものと解するべきであり、又昭和二四年三月頃被控訴人三田と控訴人との間に本件焼け残り土蔵につき賃料一ヶ月二〇〇円とする賃貸借契約がなされたことは明らかである。そして、右各賃貸借につき期限の定があつたことを認めることができないから、右各賃貸借は、期限の定めのないものというべきである。しかし、既に認定したところにより明らかなように、本件路地部分の東側の家屋及びこれに附加された前記建物並びに土蔵は、被控訴人らの共有物であつて、共有物の管理に関する事項は、保存行為の外各共有者の持分の価格に従いその過半数で決すべきであり(民法第二五二条)、右路地部分の使用貸借契約を賃貸借契約に改めることや土蔵を賃貸することは、保存行為の範囲に属しないで管理に関する処分行為であるから、被控訴人らの持分の価格に従いその過半数でなすべきである。しかるに、当審証人山本キンの証言、原審及び当審における被控訴人三田本人尋問の結果によると、控訴人は被控訴人三田に対し賃貸借の交渉をしたり賃料の支払をしたのみで被控訴人秦野に対し交渉したことはなく、被控訴人三田も控訴人に賃料をとつて貸与することにつき被控訴人秦野に相談をしたことがないことを認めることができるのであつて、既に認定したところにより明らかなように、被控訴人三田は三分の一の持分(相続分が三分の一であるから、持分は三分の一と認める。)、被控訴人秦野は三分の二の持分(相続分が三分の二であるから持分は三分の二と認める。)を有するのであるから、三分の一の持分のみを有する被控訴人三田がした前記賃貸借は被控訴人秦野の承諾のない限り効力がないものといわなければならない。しかしながら、成立に争のない乙第七号証の一ないし五、原審及び当審における被控訴人三田本人尋問の結果、原審における控訴人本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人三田は、前記のように昭和二〇年三月戦災により本件路地部分の奥にあつた住居が焼失したため、一時夫三田寅治次郎と他に転居していたが、同年中に右路地部分の東側の奥野某方(被控訴人ら所有家屋)で居住するようになり、三田寅治郎死亡後はその長女である被控訴人秦野と同居することなく、昭和二八年七月同被控訴人方に同居するまで独り奥野方に居住していた。その間被控訴人秦野から生活費の仕送りがなく、生活の資を得ることができなかつたので、控訴人から支払を受けた本件路地の建物及び土蔵の賃料や自ら大阪市内の病院で働いて得た給料で生活をしていた。被控訴人秦野は被控訴人三田と同居していなかつたが、親子の関係上被控訴人三田方にしばしば来ており、被控訴人三田の生活状態を知つていたばかりでなく昭和二〇年頃から昭和二八年七月同人らが同居するまで、当初は謝礼金として、後には賃料として被控訴人三田が控訴人から金員を受領していたこと及び控訴人が被控訴人三田から前記のように土蔵を賃借し、控訴人がこれを使用しており、被控訴人三田が賃料を受領していたことを知つていたが、別段被控訴人三田や控訴人に対し異議を述べなかつたことを認めることができる。原審における被控訴人契野本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人三田本人尋問の結果の一部は、原審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に徴し信用できない。他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。右事実から考えると被控訴人秦野は、被控訴人三田が前記のように本件路地部分の使用貸借を賃貸借に改め、本件土蔵を控訴人に賃貸することにつき黙示の承諾を与えたものと認めるべきである。そうすると、被控訴人三田と控訴人との間になされた右建物及び土蔵に対する賃貸借は、被控訴人秦野の黙示の承諾により効力を有するに至つたものといわなければならない。従つて、右建物の貸借関係は被控訴人ら主張のように使用貸借ではなく、賃貸借であり、控訴人は本件土蔵につき賃借権を有するに至つたものというべきである。

そうすると被控訴人らが本件路地部分の土地を控訴人に使用貸借又は賃貸借したことを前提とし、右土地上にある構築物を撤去し、その敷地全部及び右明渡不履行により通常又は特別事情によつて生ずるべき損害金の支払を求める第一次の請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であることが明らかであるから、棄却されるべきである。

被控訴人らは、前記路地の建物及び土蔵の賃貸借は、一時使用のためのものであるから、借家法の適用がないと主張し、控訴人は右賃貸借には借家法の適用があると主張するので考える。既に認定したところにより明らかなように、本件路地部分の貸借関係は当初控訴人が戦災により住居を失つたので一時雨露をしのぐため、三田寅治郎の戦災により焼失した住宅から表道路に通ずる通路であつて、東側の家屋の中二階の床と屋根を天井とし、両側の家屋の外側によつて雨露をしのげるようになつていた路地部分を無償で借り受けたのであるから、使用貸借であつたが、その後控訴人が右東側の家屋に附加して一体となるように床を張り、戸締りなどの造作を施して部屋として居住を続けるようになつてから後、被控訴人三田はこれを黙認し、昭和二八年一一月末日までの長期間に亘り賃料(最後は一ヶ月三〇〇円)の支払を受けるようになつたため建物の賃貸借が成立し、また昭和二四年三月頃本件土蔵を賃料一ヶ月二〇〇円で賃貸し、前同日まで賃料の支払を受け、被控訴人秦野はそれぞれ黙示による承諾を与えたのであるから、当初の一時使用貸借は、普通の建物の賃貸借となつたものと解すべきであり、従つて、右建物及び土蔵の賃貸借には借家法の適用があるものといわなければならない。右建物の部分が元その南奥の住宅への通路であり、右部分を長く賃貸すると南奥の土地の利用が妨げられるとしても、右事情は、被控訴人らが黙示の承諾により右建物の賃貸借を承諾し長期間に亘り賃料を受領した以上、右賃貸借が一時使用のためのものであると認定しなくてはならぬものではなく、又原審検証の結果及び弁論の全趣旨によると本件土蔵は戦災で焼け残つたもので、その壁が著しく落ち相当腐朽しておるが、土蔵として現に控訴人がむしろ等を入れて使用していることを認めることができるから、戦災の焼け残りの土蔵であるからといつても、それだけで被控訴人ら主張のようにその賃貸借が一時使用のものであつて、借家法の適用のない賃貸借であるということはできない。

そうすると、右建物及び土蔵の賃貸借は、使用貸借又は借家法の適用のないものであることを前提とする民法第五九七条による返還請求、又は同法六一七条による解約申入による賃貸借の終了を原因とする被控訴人らの請求は理由がない。

借家法の適用のある建物の賃貸借でも期間の定のないものについては、賃貸人に自己使用の必要その他正当の事由があるときは、賃貸人は解約の申入により賃貸借を終了させることができるところ、被控訴人らが、昭和二八年九月大阪簡易裁判所に対し控訴人を相手方として建物明渡の調停の申立をし、前記路地の建物及び土蔵に対する賃貸借につき解約の申入をしたことは、当事者間に争がない。そこで、被控訴人らが右解約の申入をするにつき正当の事由があつたかどうかにつき考える。(1)、既に認定したところにより明らかなように、前記建物の存在する元路地部分は、元来その南側奥に存在した三田寅治郎の住宅に通ずる通路に当つていたのであり、右住宅が戦災で焼失し、路地部分の両側の家屋が焼失を免れ東側の家屋の西側面と路地上につき出して造られた中二階、屋根と西側の家屋の東側面とで形成される軒下部分も残存していたところ、戦災で住居を失つた控訴人は、一時雨露をしのぐため無償で右軒下部分の使用を許されていたが、その後これを居住できるように設備をして本件建物とし、その賃料を被控訴人三田に支払うに至り、その後被控訴人らの黙示の承諾により借家法の適用のある賃貸借となつたこと、(2)、原審証人秦野吉之助の証言、原審における被控訴人秦野本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人三田本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人秦野の夫秦野吉之助は、株式会社住友銀行に勤務し自宅がないため昭和二八年以前から大阪市旭区新森小路にある同銀行の社宅に居住し、被控訴人三田も被控訴人秦野の母である関係上同年七月頃から同居していたが、右社宅は六畳二間三畳一間の押入のない狭い家で、被控訴人両名、秦野吉之助、長女(昭和二九年当時二一才)、次女及び三女の六人が居住するためには狭いばかりでなく、長女は婚約しているが家がなく、秦野吉之助もその二年か三年後には定年退職しなければならなくなり、退職すれば社宅を出なければならず、そのために居住する家屋を必要とする。そこで被控訴人らは、本件建物のある土地の南側奥にある焼跡の宅地に家屋を建てて秦野吉之助や子女ととも居住したいのであるが、控訴人が右宅地に本来出入するべき土地上の建物に居住しているため、右宅地上に住宅を建てることができないので、控訴人から右建物の明渡を受けてこれを取りこわし元どおりの通路とする必要があることが認められる。(3)、当審証人山本キンの証言、原審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は前記建物に妻と二人の子と居住して荷造りの材料商を営み、本件土蔵にその商品を入れていること、その取引先は船場や上町方面にあり、月収約五〇、〇〇〇円を得ており、長男庄七は同所で算盤塾を開いて約一〇〇人に算盤を教えて月収三〇、〇〇〇円を得ており、生活にも余裕があることを認めることができる。そして、控訴人の取引先は船場や上町方面にあるのであるから、本件建物で営業することは必要欠くべからざるものとは認められず、長男庄七の算盤塾も右建物のような東西一間南北五間(六畳と四畳との二間)の狭い家屋内ですることは不便であつても便利であるとはいえないから、算盤塾のため必要欠くべからざるものということはできない。(4)、原審検証の結果及び弁論の全趣旨によると、既に認定したように本件土蔵は戦災により焼け残つたものであり、壁は著しく落ち相当腐朽したものであるばかりでなく、本件路地部分の建物の南側奥の宅地上にあつて、控訴人が右建物を使用している間だけ利用価値があるが、他に転居した場合には独立して使用価値は殆んど認められず、控訴人が転居した後これを使用することは、被控訴人らの前記宅地の利用を著しく妨げるものであることを認めることができる。以上(1)ないし(4)の事情を併せ考えると被控訴人らが本件賃貸借の解約の申入をするにつき正当の事由があると認めるのを相当とする。控訴人は被控訴人らが解約の申入をしたのは、自己使用のため必要とするのではなく、本件路地部分の南側奥の宅地を高価に売却するためであると主張するが、右主張にそう当審証人山本キンの証言、原審における控訴人本人尋問の結果は後掲の証拠と対比して信用できないし、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。もつとも、被控訴人らが、昭和三四年二月中に右宅地の内控訴人の占有していない部分約四〇坪と本件路地部分の東側の家屋とを他に売却したことは、被控訴人らの自認するところであるが、原審における被控訴人秦野、原審及び当審における被控訴人三田各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被控訴人らが解約の申入をした当時においては、被控訴人らは前記宅地を自ら使用するための必要上その通路に当る地上の建物の賃貸借の解約申入をしたのであつて、右宅地を控訴人には勿論第三者に売却する意思はなく又売りに出した事実もなかつたが、本訴が予期以上遅延したためと被控訴人秦野の夫秦野吉之助が定年退職し社宅を明け渡さなければならぬようになり住宅を建てたりしたため債務を生じたので、その妻である被控訴人秦野、その母の被控訴人三田とはやむを得ず前記土地約四〇坪を売却したことを認めることができるから、右宅地の売却は解約申入の約五年後で、しかもやむを得ない事情のためである。そして、解約申入の正当の事由の有無の判断は、解約申入及びその期間内の当時の事情によつてなさるべきものであつて、右のように約五年後に生じた事由を参酌して判断すべきではない。従つて、被控訴人らが右宅地を売却したことは、前記解約申入につき正当の事由があつたとの認定を妨げるものではない。そうすると、本件賃貸借は、解約の申入のあつた昭和二八年九月から六ヶ月を経過したおそくとも昭和二九年三月末日終了し、控訴人らに対し前記建物及び土蔵を明け渡さなければならない。被控訴人が右建物及び土蔵の明渡を求める請求(建物の明渡は第二次請求。土蔵の明渡につき被控訴人らは第一次と第二次の請求をしているが、いずれも一つの請求である。)は、正当として認容されるべきである。

被控訴人らの損害金の請求につき判断する。まず被控訴人らは右建物及び土蔵自体の賃料相当の損害金の支払を求めることなく、控訴人が右建物及び土蔵の明渡をしないため、その敷地一〇坪を利用することができないために被る地代相当の損害金の支払を求めているので考える。控訴人は、右建物及び土蔵の明渡義務があるのに、その義務を履行しないで占有を続けているのであるから、その占有を続けることによりひいてその敷地を占有し、被控訴人らの右敷地の使用収益を妨げ、被控訴人らに対し少くとも地代相当の損害を被らせているものというべきである。そして、右敷地で控訴人の占有する部分が一坪であることは、控訴人の明らかに争わないところであるから、控訴人は被控訴人らに対し、右一〇坪に対する賃料相当の損害を賠償する義務がある。そして、右土地とその南側の奥の土地五〇坪との合計六〇坪に対する統制賃料の最高額が、昭和二八年度は一ヶ月一、二九五円、昭和二九年度は一ヶ月一、七一七円、昭和三〇年度及び昭和三一年度はそれぞれ一ヶ月一、九二二円であることは、当事者間に争がないから、右土地一〇坪の統制賃料の最高額は、少くともその六分の一であると認めるのを相当とする。そうすると、被控訴人らが控訴人に対し、右土地一〇坪に対する分として請求していると認められる訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和二九年五月一七日から同年一二月末日まで一ヶ月二一五円(一、二九五円の六分の一円未満切捨)、昭和三〇年一月一日から同年一二月末日まで一ヶ月二八六円(一、七一七円の六分の一円未満切捨)、昭和三一年一月一日から右家屋及び土蔵の明渡ずみまで一ヶ月三二〇円(一、九二二円の六分の一円未満切捨)の各割合による損害金の支払を求める限度で正当として認容されるべきである。被控訴人らは、昭和三四年一月頃から、控訴人は前記土地六〇坪のうち二〇坪を占有していると主張するが、控訴人が前記のように一〇坪の土地を占有している外に一〇坪を占有していることを確認するに足る証拠はないから、右土地二〇坪を占有していることを前提として一〇坪をこえる損害金の請求は失当であつて、棄却されるべきである。

次に被控訴人らは、控訴人が前記建物及び土蔵の明渡義務があるのに、その明渡をしないで現在に至るまでこれを占有することによりその敷地を占有しているため、その南側の宅地五〇坪を利用することができず、そのため右五〇坪に対して少くとも統制賃料額の最高額相当の損害を被つており、右は通常生ずべき損害であるから、控訴人はその損害を賠償する義務があると主張するが、仮に被控訴人らが損害を被つたとしても、右は控訴人が、右建物及び土蔵を占有することにより通常生ずるべき損害ということはできず、特別事情により生じたものと認めるべきものであるから、通常生ずべき損害であることを前提とする損害賠償の請求は失当である。被控訴人らは、控訴人は右特別事情を予見し、又は予見することができたものであるから、損害を賠償する義務があると主張するので考える。既に認定したところにより明らかなように、本件路地部分は元来その南奥に存在する宅地から表公道に通ずる通路であつたのであり、原審における検証の結果によると、右宅地はその東側と南側は板塀、西側は板垣、北側は家屋二戸に囲まれ、本件路地部分の南端西側から路地部分の西側の一棟の家屋の南側から西側を廻り北側道路に通ずる私道によつて外部に通ずる外、外部に通ずる通路のない位置にあることが認められるから(右宅地の一部及び本件路地の建物の東側の土地と家屋とを売却したことは、前記のように被控訴人らの自認するところであり、その結果右東側の家屋が取り壊されたため、現在においては前記宅地も同所から表道路に通ずるようになつたことは、当審証人山本キンの証言、当審における被控訴人三田本人尋問の結果により明らかである。)、右宅地は本来の通路である本件路地部分を通路として利用することによりその利用価値が充分に発揮されるわけである。しかし、前記検証の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、本件路地部分の南奥の宅地へは前記私道から出入することができ、控訴人は右宅地の南西の隅にある本件土蔵へは右路地部分にある自己の住居又は右私道を通つて出入していることを認めることができるのであるから、右宅地は完全な袋地であるということはできないばかりでなく、右宅地には路地部分からばかりでなく、右私道からも出入しこれを利用することができるのであるから、控訴人としては、右建物を占有することにより被控訴人らが右宅地を使用することができなくなりそのために被控訴人らが統制賃料の最高額に相当する損害を被るであろうことを予見せず、又予見し得なかつたものと認めるを相当とする。そうすると、右宅地五〇坪に対する債務不履行又は不法行為を原因とする損害の賠償を求める被控訴人らの請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であることが明らかであるから、棄却されるべきである。

原判決中本件土蔵の明渡請求を認容した部分は正当であるが、本件路地部分の土地上の構築物の収去及びその敷地の明渡を求める被控訴人らの第一次請求を認容した部分は失当であつて、この点において控訴人の控訴は理由があるから、原判決主文第一項を変更し、右請求及び第一次の損害金の請求(但し土蔵の敷地の部分に対する損害金請求を除く。)を棄却することとする。しかし、被控訴人らの第二次の請求と本件土蔵の敷地の部分に対する損害金の請求(この分は第一次、第二次の別はない。)は、前記認定の限度で正当であつて、被控訴人らの附帯控訴は一部理由があるから、同法第三八六条により原判決中主文第二項を取り消し、主文第五項のとおり被控訴人らの請求を認容し、その余を棄却することとする。

よつて、民訴法第九六条第九二条第八九条第九三条第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 熊野啓五郎 裁判官 岡野幸之助 山内敏彦)

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